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スピリチュアルと真理探求(悟り)の変遷

 

私は13歳まで成績トップクラスの優秀児でしたが、それは「承認」されたい為に頑張っていました。9-10歳の頃に担任の教師に私というアイデンティティをけなされたのがきっかけで、そういう思いが強くなりました。しかし13歳の中頃に、「暗記して、いい点を取って、褒められる」事に虚しさを感じ、学校に行けなくなりました。いわば、自分の全てを放り投げてしまい、14歳に再び学校に行き始めましたが、今まで体験していた世界とは違い、そこには「地獄」が広がっていました。当時、不登校をすると異端の目で見られ、孤立し(そんな中でも私と友達でいてくれる人たちが数人いた)、その時の辛さは今でもトラウマのように覚えています。

 

14歳からそうして、人間に対する強い不信感が生まれ、苦しみ、そしてこれを書いている36歳までその構図は変わらず生きてきました。こうして20年近くの歳月を振り返ると、当時の苦しみはだいぶ和らぎ、そして現実も変わっていきました。しかし、この社会に対する根本的な生きづらさは変わっておらず、2010年くらいに本格的に仏教や神道、そしてスピリチュアルなどを紐解いていきました。

 

10代に大きな挫折をしてもめげずに頑張り、私は22-27歳の頃にいわゆる恋愛もする事ができました。アスペルガーとしては異例な事だと思っています。すべて出会いはネット経由という極端さで、ほとんどが何故かAB型で私はO型でした。

 

アスペルガーだと、口下手で文章でやりとりとかありますが、私はまさに文章を通じて女性とやりとりを楽しんで、そして実際に出会って瞬間的に楽しい思い出が作れ、そしてすぐに終わっていきました。私は27歳の時が最高で、調子に乗り、エゴが究極に肥大化したような感覚がありました。そしてそれ以降、人生が極端に変わり、私は世間的に不遇になっていき、28歳から35歳までは、地獄の中を生きてきたような感じでした。「自分は正しい、間違っていない」と思うほどに孤独になっていきました。

 

そして36歳になった2014年、人生が変わり始めて、いままで厳しい人間ばかりが目の前に来て苦悩してきた現実が少しずつ変わってきました。まだ「天国」って感じではありませんが、少なくとも昔に比べたらほんと穏やかな現実になっていきました。人生は登山をするように1つ1つ険しい道を乗り越えるように、1つ1つの問題に向き合っていくようなものな気がしています。

 

スピリチュアルを通じて今おもうことは、「良い事も、悪い事も、正視して向き合う」という事です。嫌な事は目を背けたり反発したくなるものですが、それも受け止める。それがスピリチュアルを通じてあれこれ模索し、考えてきた結果の今の姿勢です。言うのは、言葉にするのは簡単ですが、それが難しい。しかし、良い・悪いという勝手な物差しで人をジャッジする悪癖が、苦悩の大元のような気がしていますので。

 

呼吸と観念浄化について 

2015.2.7追記

 

私は別ページにまとめたアスペルガー症候群という科学的アプローチと、スピリチュアルという両方のアプローチで自分の問題と向き合ってきました。二次障害として睡眠障害が酷く、睡眠薬を処方され安定しましたが、次のステップとして呼吸法(バイオフィードバック)を紹介されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨガの領域の話であり、宇宙の呼吸とあります。私が探求してきた事は不思議な事に科学と非科学が繋がっていきました。

 

具体的には腹式呼吸をしていく形になり、このアプリの中にある説明文を読んで試したところ、効果がありました。宇宙の呼吸とあるように、いままでの意識が変化し、軽くなり、自分の問題と向き合うと不思議とそのこだわっていた問題を「浄化・・・手放す」事ができたのです。

 

呼吸に没頭し意識状態の変化を感じる → その状態で問題と向き合う(もしくは呼吸に没頭してるうちに寝る)

 

という形になります。現在の時点で、この呼吸法がうまくいけば、アスペルガーページにまとめた服用している薬も減薬していき、最終的に無しにして良いと言われました。呼吸を使うことで、副交感神経の働きを活発化させ、そうしてリラックスや睡眠に関係ある部分にアプローチするわけです。そしてスピリチュアルで私が特に尊敬してきたエックハルト・トールが呼吸が大切、と言っていた部分と繋がったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

腹式呼吸に没頭すると、本当に意識が変化し、楽しく実践し、この宇宙の呼吸が自然体になっていくんじゃないかと思っています。

 

 

中庸の視点(意識)をキープする

2015.2.10追記

 

2月に入り自分の中で大きな変化がありました。それは睡眠不足がきっかけでした。1日が終わり重い感覚と向き合っていた時、急にその重い感覚が消えていったのです。不眠とは必然だったんだと思いました。前は不眠だから、寝れると次の日は調子に乗って頑張って、そしてまた不眠になる、みたいな事がよくありましたが、中庸の意識の安心感は全ての不安を払拭するような勢いで、そういう事がなくなってきました。

そうして人は調子に乗る・・・思考と感情に巻き込まれやすい訳で、「考えない訓練」が大切になってくるというのがよく分かったのです。探求していくうちに、「他人は幻影で、陰と陽で構成されてるようなもの」という体感がやってきました。だから、他人を見て良いという捕らえ方は、その陰陽の幻影に意味を与え、頭で理解してるという事だなと。それはリアルにそれをあるがまま、みていないという事に気づくと、自分の中にあった囚われのような感覚がフッと消えていきました。

 

この世を生きてると、どうしても思考の世界に巻き込まれやすい。そんな時は呼吸に焦点を合わせ、冷静に上記の事を思い出していくと、ぐるぐる回転していた思考は落ち着き、リラックスしやすくなりました。

 

どんなに嫌な態度も、それに意味をつけず、あるがまま認めるのです。すると同じ光景に遭遇しても、前のように感情的にならなくなる。。。意味づけ(思考+感情=概念)が消えたという事になります。そうして1つ1つ、自分の中の意味づけを手放していけば、本当の自分の意識に戻れ、そこには平安が広がってる気がしています。何故だかわれわれはその逆の心乱れる世界に産み落とされ、そこでもがいていく過程をしてる。

 

2015年4月11日追記

腹式呼吸のコツをかなり掴んだ。そして仮にほとんど寝られなくても、腹式呼吸に没頭している事で体全体が休まる体感をした。とにかく、腹式に没頭するのだと。それを続けていくと、普段の生活でも腹式呼吸をする事が苦でなくなってきた。そうすると、今まで頭にエネルギー、焦点を当てすぎ、疲れてしまう部分がかなり改善された。思考から腹式に重心が変わると、「呼吸の中に沸く思考」という形で、沸いては消える思考を眺める事ができるようになる。そうすると、その思考と自分を一体化してしまう事から脱却できるというのが分かった。それは少しずつ拡大していき、その先に今までとは違う意識状態がある気がしている。

 

応用が出来、腹が減る、という感覚もまた、思考と感情に過ぎず、呼吸に没頭してそれらを見つめていると消えていった。。。痛みが消えていく。前までできなかった1日1食主義が、今は自然と出来るようになり、さらにこの物質界における物質への依存(思考)が減り、体も心も軽くなる事ができた。

 

今思うことは、「この観念でがんじがらめの人間社会」から脱したいという事。様々なルールがあり、その根底には支配とか欲望などが渦巻く人間関係。ただ、存在する事を許さない社会とのかかわり方が分からない。なにかをしようとすれば、不調和があったりして、全然楽しめない地球。もがき続けたけれど、命を絶つのもまた個という意識からの脱却の方法の1つではないかと思ったりもする。「人間として存在している以上、継続的になにかをして社会に順応しなければならない」というような決まり事だらけの中でどうしたらいいか本気で分からない。それでも、前記に書いたように気分は晴れ、仮に死なないといけないとしても心は晴れているのが3年前との大きな違いになる。

 

鳥の目のように個という意識から空・・・そして地球外に視点が飛び出していって・・・そして自由に好きな星にいけるような意識・・・宇宙と一体のような感覚を取り戻し、個という束縛から脱したくてたまらない。

 

 

 

 

 

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